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56年前に立教を卒業した78歳の爺です。応援歌を聞くと、今でも20歳前後の多感な血が蘇り気分が高まります。素晴らしい教授陣、良き学友に恵まれ、楽しく宝のような4年間でした。正直言えば一次志望ではなかったが、志望校に落ちてよかったとしみじみ思います。植村先輩の遺書は涙無くして読めません。でも、ご家族と「会う」のは靖国神社ではなくチャペルの方がよかったと思います。チャペルには戦犯などいません。
初めて植村大尉の遺書を拝読したのは16、7年ほど前、靖国の遊就館でした。思いがけず出逢ったはるか先輩の文章に、娘を授かったばかりの自分は涙を禁じ得なかったのを覚えています。そして今年その一人娘が立教に進むことになりました。あの時大尉と素子さまを知ったことが今具現化したのではないか。そういうふうにつくづく思う今日であります。ありがとうございました。
立教の応援歌も素晴らしいですね♪
クラブの仲間と神宮球場で肩を組み歌いました。懐かしい。今、病院に入院してますが毎朝毎晩元気づけに聴いて励まされてます。
1日も早いご快復をお祈りします。それにしても、神宮の学生応援席で応援歌を大声で歌える日がくるのはいつですかね。
第一応援歌は素敵です。6大学で一番いいのでは!
応援団員だった同級生が、大太鼓の叩き過ぎで疲労骨折したことを思い出します!懐かしい!
最後に出てくる、特攻隊で散った植村眞久大尉のところは泣かせるね。胸がいっぱいになって涙が溢れてくる。母ひとり子ひとりの家庭で、特攻に志願などせずともよかっただろうに。きっと、部下だけを死なせるわけにいかなかったんだろうな。こんな立派な先輩がいたんだな、六大学には。英霊に感謝。
最後まで拝見致しました。母校の先輩にそして英霊に感謝するばかりです。
植村素子さんも立教大学のOGです。九段(靖国神社)でお父様を偲び、日本舞踊をされました。今の時代だからこそわかってほしいと思います。個と公を。
+nipponnipponnippon1 コメントありがとうございます。そうですね、私と同期です・・・・
感動的な応援歌集をありがとうございます。素子様の消息もコメントで知り安心しました。バックの校歌が格調高く大尉の鎮魂になると思いました。
校歌に邦家に捧げるとあるが植村大尉のことのような気がするけど!😅
学徒出陣で国のために亡くなったOBに卒業証書は差し上げられたのでしょうか?我が母校法政大学では、自ら学徒出陣に加わってフィリピンから帰還した阿利莫二総長が総長就任直後に、学徒出陣に加わって戦没した方々にご遺族を招待し卒業証書を発行されました。
🎉🎉🎉茨城県立境高校蛍雪特進コース偏差値72→立教大学理学部入学おめでとうございます‼️茨城県立境高校蛍雪応援団🎉🎉🎉🎉🎉
東京六大学のコメントに茨城県立境高卒の学生が出てくるが自分は中退だからあまり言えないが出過ぎだろう‼️
長嶋一茂
いよいよ今週末は、明治大学と決戦だ!勝ち点を取った方が優勝、キャプテン山田健太選手にもうひと暴れしてもらいたい。
歌詞がついていればもっと良かった。
そうですね。昨年、長女が立教大学に入学して、立教のことを、いいなーと思っています。ちなみに、私は、センスのない早稲田の出身です。セントポール、シャイン、シャインを利口じゃないとか歌っていた口です...
早稲田、慶応ってのは、大学の創始者が凄いから、名門なんだろうなぁ。ところで、ウイキには、立教の創設者ウィリアムズに関して、>大隈重信は、幕末に長崎でチャニング・ウィリアムズから英語、数学など英学を学び、のちに東京専門学校(現・早稲田大学)の2代目校長となる前島密らとともに立教大学創設者ウィリアムズの最初の弟子の一人であった。とある。立教の創始者ウイリアムズは、早稲田大学創始者、大隈重信候の英語、数学の先生だったから、早慶を落ちた劣等感は、この事実によって、少しは緩和されるかもなぁ(笑)。
>後年、大隈重信は1919年(大正8年)に開催された立教大学池袋校舎落成式に来賓として出席する。そこで長崎時代から続く大学創設者ウィリアムズと結ばれた師弟関係から、立教大学との縁故に及び、さらに50年来の日米両国人の交誼を説く演説を行った。大隈が立教築地キャンパスの形成に尽力したことは立教大学との縁故の一つである。だって!あの天下の大隈重信候が、立教大1号館に直々やって来たんだぁ、スゲーなぁ。みんながスゲーと思っている大隈重信候が、私淑しているウイリアムス主教って、どんな人物か、大学時代には全く教えてもらえなかったけど、やっぱり、スゲー人物だよなぁ。校歌では、「伝統受けつ」って、歌っているから、大学当局は、ちゃんと、大学のスゲー伝統は、学生に教えて欲しいよなぁ。
お金のお札の顔になる大学です。顔が立教大学教授です。
やはり立教と言えばセントポールですね。❗
primenさんいきでシックな立教の学生さん♪ ですか・・・池袋の街もかわりました・・・でも優勝パレードとビール掛けはいつのことやら
学問分野です。父親が早稲田大学教授です。3歳から、育ててくれた恩忘れません。大樹兄さんと育てられて嬉しいかったです。伊勢神宮に行ったら慶応義塾の寺社があります。薬品です。宜しくお願いします。
立教ではコンパのとき・・・♪利口じゃないない・・・早稲田・慶応・法政・明治・利口じゃない・・・と歌ってましたっけ・・・六大学はお互い茶化し合いながらも、「六旗のもとに」連帯感があったんですね。
訂正 もう少し長く歌詞を表示してあれば良かった。
仰せの通りですね、最後まで見てくれている人には申し訳ありません、どうもすいませんでした・・(ーー;)
第2応援歌は阪神の凡用曲の原曲やな
なんで歌詞を一瞬しか見せない動画を作るんですか?
何かの間違いがない限り、立教は優勝争いには加われないとか雑誌で馬鹿にされてるくらいだからね...
前から思ってました。「敵ぞなし」、立教大学には係り結びはないのですか?歌詞全体は文語調ですから正しくは「敵ぞなき」でしょ?立教大学ほど学力の高い大学がなせ?
かなり以前のコメントへの返信有難うございました。あなたのおっしゃるようなか解釈も可能なのかもしれませんが、これは応援歌であり、つまり味方を鼓舞するもの。詩歌や物語のように省略の余韻を楽しむようなものではないと思います。「ぞ」という係助詞を用いる意図は強意であり、連体形できりっと結ぶ、つまり「敵ぞなき」のほうがいっそう引き締まった印象を与えられます。省略の余韻などにひたるものではありません。生徒から質問を受けたとしたら、(立教大学の関係者には申し訳ありませんが)やはり私は間違いだと答えるでしょう。
古文だったら、「ぞ」の係り結びは、連体形になるって、教わるけどなぁ。いまは、平安時代じゃないし、現代の日本語だからねぇ。「ぞ」の係り結びにならなくて、現代日本語の歌の調子で、終止形になるのも日本語の時代の変化形と捉えて問題ないと思うがねぇ。古文のことは、あんまり覚えてないが、古文の「こそ→已然形」も、現代文じゃ消滅してるだろうしねぇ。
平安時代の和歌じゃないし、立教女学院出身で、みんなが大好きな、ユーミンのニューミュージックみたいに、「現代人が歌う応援歌」だしなぁ。「敵ぞなし」は、敵を強調して「ぞ」で、威勢よく「なし」と言い切りの終止形で強調した方が、現代日本語の歌としては、いいだろうし、現代日本語口語文法としても、間違いではないだろう。「敵ぞなき」って、平安時代の和歌のように、連体形で、係り結びにすると、「なき」の後に、現代人なら、「こと」とかの言葉が続く印象で、言い切りにならないから、応援歌としては、威勢が良くないし、チョット、もやもや、しちゃうよなぁ。ということで、現代口語文法では、平安時代の係り結びに拘らない言葉使いになりつつあるから、「敵ぞなし」で、大正解の大正解(笑)。
すべてにおいて地味で半端でパッとしない大学なんだよな。一応立教も東京六大学なんだけど、忘れられてるというか影薄いというか。。。
こんなのに反論するのは野暮だけど、本当の立教のよさを知ったら恥じると思います。立教は独特のよさを持っています。
東京周辺の大学に無縁ならしかたないですね。。
56年前に立教を卒業した78歳の爺です。応援歌を聞くと、今でも20歳前後の多感な血が蘇り気分が高まります。素晴らしい教授陣、良き学友に恵まれ、楽しく宝のような4年間でした。正直言えば一次志望ではなかったが、志望校に落ちてよかったとしみじみ思います。植村先輩の遺書は涙無くして読めません。でも、ご家族と「会う」のは靖国神社ではなくチャペルの方がよかったと思います。チャペルには戦犯などいません。
初めて植村大尉の遺書を拝読したのは16、7年ほど前、靖国の遊就館でした。
思いがけず出逢ったはるか先輩の文章に、娘を授かったばかりの自分は涙を禁じ得なかったのを覚えています。
そして今年その一人娘が立教に進むことになりました。あの時大尉と素子さまを知ったことが今具現化
したのではないか。そういうふうにつくづく思う今日であります。
ありがとうございました。
立教の応援歌も素晴らしいですね♪
クラブの仲間と神宮球場で肩を組み歌いました。懐かしい。今、病院に入院してますが毎朝毎晩元気づけに聴いて励まされてます。
1日も早いご快復をお祈りします。それにしても、神宮の学生応援席で応援歌を大声で歌える日がくるのはいつですかね。
第一応援歌は素敵です。6大学で一番いいのでは!
応援団員だった同級生が、大太鼓の叩き過ぎで疲労骨折したことを思い出します!
懐かしい!
最後に出てくる、特攻隊で散った植村眞久大尉のところは泣かせるね。胸がいっぱいになって涙が溢れてくる。母ひとり子ひとりの家庭で、特攻に志願などせずともよかっただろうに。きっと、部下だけを死なせるわけにいかなかったんだろうな。こんな立派な先輩がいたんだな、六大学には。英霊に感謝。
最後まで拝見致しました。母校の先輩にそして英霊に感謝するばかりです。
植村素子さんも立教大学のOGです。九段(靖国神社)でお父様を偲び、日本舞踊
をされました。今の時代だからこそわかってほしいと思います。個と公を。
+nipponnipponnippon1 コメントありがとうございます。そうですね、私と同期です・・・・
感動的な応援歌集をありがとうございます。素子様の消息もコメントで知り安心しました。バックの校歌が格調高く大尉の鎮魂になると思いました。
校歌に邦家に捧げるとあるが植村大尉のことのような気がするけど!😅
学徒出陣で国のために亡くなったOBに卒業証書は差し上げられたのでしょうか?
我が母校法政大学では、自ら学徒出陣に加わってフィリピンから帰還した阿利莫二総長が総長就任直後に、学徒出陣に加わって戦没した方々にご遺族を招待し卒業証書を発行されました。
🎉🎉🎉茨城県立境高校蛍雪特進コース偏差値72→立教大学理学部入学おめでとうございます‼️茨城県立境高校蛍雪応援団🎉🎉🎉🎉🎉
東京六大学のコメントに茨城県立境高卒の学生が出てくるが自分は中退だからあまり言えないが出過ぎだろう‼️
長嶋一茂
いよいよ今週末は、明治大学と決戦だ!勝ち点を取った方が優勝、キャプテン山田健太選手にもうひと暴れしてもらいたい。
歌詞がついていればもっと良かった。
そうですね。昨年、長女が立教大学に入学して、立教のことを、いいなーと思っています。ちなみに、私は、センスのない早稲田の出身です。セントポール、シャイン、シャインを利口じゃないとか歌っていた口です...
早稲田、慶応ってのは、大学の創始者が凄いから、名門なんだろうなぁ。
ところで、ウイキには、立教の創設者ウィリアムズに関して、
>大隈重信は、幕末に長崎でチャニング・ウィリアムズから英語、数学など英学を学び、のちに東京専門学校(現・早稲田大学)の2代目校長となる前島密らとともに立教大学創設者ウィリアムズの最初の弟子の一人であった。
とある。
立教の創始者ウイリアムズは、早稲田大学創始者、大隈重信候の英語、数学の先生だったから、早慶を落ちた劣等感は、この事実によって、少しは緩和されるかもなぁ(笑)。
>後年、大隈重信は1919年(大正8年)に開催された立教大学池袋校舎落成式に来賓として出席する。そこで長崎時代から続く大学創設者ウィリアムズと結ばれた師弟関係から、立教大学との縁故に及び、さらに50年来の日米両国人の交誼を説く演説を行った。大隈が立教築地キャンパスの形成に尽力したことは立教大学との縁故の一つである。
だって!
あの天下の大隈重信候が、立教大1号館に直々やって来たんだぁ、スゲーなぁ。
みんながスゲーと思っている大隈重信候が、私淑しているウイリアムス主教って、どんな人物か、大学時代には全く教えてもらえなかったけど、やっぱり、スゲー人物だよなぁ。
校歌では、「伝統受けつ」って、歌っているから、大学当局は、ちゃんと、大学のスゲー伝統は、学生に教えて欲しいよなぁ。
お金のお札の顔になる大学です。顔が立教大学教授です。
やはり立教と言えばセントポールですね。❗
primenさん
いきでシックな立教の学生さん♪ ですか・・・
池袋の街もかわりました・・・でも優勝パレードとビール掛けはいつのことやら
学問分野です。父親が早稲田大学教授です。3歳から、育ててくれた恩忘れません。大樹兄さんと育てられて嬉しいかったです。伊勢神宮に行ったら慶応義塾の寺社があります。薬品です。宜しくお願いします。
立教ではコンパのとき・・・
♪利口じゃないない・・・早稲田・慶応・法政・明治・利口じゃない・・・
と歌ってましたっけ・・・
六大学はお互い茶化し合いながらも、「六旗のもとに」連帯感が
あったんですね。
訂正 もう少し長く歌詞を表示してあれば良かった。
仰せの通りですね、最後まで見てくれている人には申し訳ありません、どうもすいませんでした・・(ーー;)
第2応援歌は阪神の凡用曲の原曲やな
なんで歌詞を一瞬しか見せない動画を作るんですか?
何かの間違いがない限り、
立教は優勝争いには加われない
とか雑誌で馬鹿にされてるくらいだからね...
前から思ってました。「敵ぞなし」、立教大学には係り結びはないのですか?歌詞全体は文語調ですから正しくは「敵ぞなき」でしょ?立教大学ほど学力の高い大学がなせ?
かなり以前のコメントへの返信有難うございました。
あなたのおっしゃるようなか解釈も可能なのかもしれませんが、これは応援歌であり、つまり味方を鼓舞するもの。詩歌や物語のように省略の余韻を楽しむようなものではないと思います。「ぞ」という係助詞を用いる意図は強意であり、連体形できりっと結ぶ、つまり「敵ぞなき」のほうがいっそう引き締まった印象を与えられます。省略の余韻などにひたるものではありません。
生徒から質問を受けたとしたら、(立教大学の関係者には申し訳ありませんが)やはり私は間違いだと答えるでしょう。
古文だったら、「ぞ」の係り結びは、連体形になるって、教わるけどなぁ。
いまは、平安時代じゃないし、現代の日本語だからねぇ。
「ぞ」の係り結びにならなくて、現代日本語の歌の調子で、終止形になるのも日本語の時代の変化形と捉えて問題ないと思うがねぇ。
古文のことは、あんまり覚えてないが、古文の「こそ→已然形」も、現代文じゃ消滅してるだろうしねぇ。
平安時代の和歌じゃないし、立教女学院出身で、みんなが大好きな、ユーミンのニューミュージックみたいに、「現代人が歌う応援歌」だしなぁ。
「敵ぞなし」は、敵を強調して「ぞ」で、威勢よく「なし」と言い切りの終止形で強調した方が、現代日本語の歌としては、いいだろうし、現代日本語口語文法としても、間違いではないだろう。
「敵ぞなき」って、平安時代の和歌のように、連体形で、係り結びにすると、「なき」の後に、現代人なら、「こと」とかの言葉が続く印象で、言い切りにならないから、応援歌としては、威勢が良くないし、チョット、もやもや、しちゃうよなぁ。
ということで、現代口語文法では、平安時代の係り結びに拘らない言葉使いになりつつあるから、「敵ぞなし」で、大正解の大正解(笑)。
すべてにおいて地味で半端でパッとしない大学なんだよな。
一応立教も東京六大学なんだけど、忘れられてるというか影薄いというか。。。
こんなのに反論するのは野暮だけど、本当の立教のよさを知ったら恥じると思います。立教は独特のよさを持っています。
東京周辺の大学に無縁ならしかたないですね。。